日本で税金の通知書を受け取った人は、金額を「円」で読み取り、「円」で支払う方法を探しますよね。たとえば、友人が書いてくれた「1万円を返す」という約束のメモ(借用書)も同じ「円」建てですが、その紙をそのまま税務署に持って行って税金として納めることはできません。このように、同じ「円」という単位で表されていても、社会の中で支払いに使える範囲には大きな差があります。この違いを、単に「発行した人を信用できるかどうか」という理由だけでなく、国家が定める「通貨の単位」や「支払いの制度」という仕組みから見ていきましょう。
私たちが受け取るお給料、毎日のお買い物、そして税金は、どれも「円」で表示されています。そのため、私たちは「円建ての価値さえあれば、どれも同じように使える」と感じてしまいがちです。しかし、友人の「1万円を返す」という紙切れは、円で書かれていても、銀行振込や日本銀行券(いわゆる1万円札などのお札)と全く同じようにお店で使うことはできません。なぜなら、国が税金をどの単位で請求し、法律や銀行などの決済システムが「どの支払い手段なら受け入れるか」というルールが深く関わっているからです。このように、国家や制度の役割を重視してお金の仕組みを捉える見方を、「国定信用貨幣論(こくていしんようかへいろん)」または「表券主義(ひょうけんしゅぎ)」と呼びます。
国が税額を「円」で定めている以上、私たち家計や企業は税金を納めるために、どうしても「円」を手に入れる必要があります。実は、これこそが私たちが普段から「円」を使う大きな理由の一つになっています。ただし、みんなが税金のために円を必要としているからといって、円の為替相場やスーパーに並ぶ商品の価格が自動的に決まるわけではありません。私たちが実際に買えるものの量(購買力)は、国の生産力、日本銀行の金融政策、世の中の信用状態、海外との取引、さらには将来の景気に対する期待など、さまざまな要素に左右されます。「国が税金として受け取ってくれること」と、「お金で買える価値がいつも安定していること」は、似ているようで別の話なのです。
同じ円でも、中身は少し違います。円建ての「銀行預金」を持っている人は、民間銀行に対して「お金を支払ってください」と要求する権利を持っています。一方で「日本銀行券」を持っている人は、日本銀行が発行した紙幣そのものを相手に直接手渡すことができます。どちらも単位は「円」ですが、発行している人が違うのです。たとえば、私たちが預金から税金を納める場合、自分の口座の残高の数字が減るだけでなく、銀行同士のやり取り(決済)や、国の金庫である国庫金(こっこきん)の受け渡しという複雑な処理が裏で進みます。しかし、友人の書いた円建ての借用書には、こうした社会的な決済のルート(道)がありません。共通の「円」という単位があっても、その価値を社会全体へ確実に届けるための「仕組み」が整っていなければ、支払いに使える範囲は広がらないのです。
「法定通貨(ほうていつうか)」という言葉も、この違いを理解する良い手掛かりになります。日本銀行券には、法律によって「支払いに使える」という特別な力(通用力)が与えられています。一方、私たちが普段よく使う「銀行預金」が広く受け入れられているのは、法律というよりも、銀行に対する信用と、便利で安全な振込・決済のシステムがあるからです。つまり、ある支払いに何が使えるかというルールは、法律だけでなく、当事者間の契約やお店の実際のルールにも関係してきます。たとえば、初期の「RipplePay」という仕組みでは、参加者同士が「IOU(I Owe You=借用書)」を発行し合いました。しかし、それがたとえ円建てであっても、日本銀行券や銀行預金と同じような制度的な地位(社会的な信頼と仕組み)を得られるわけではないのです。
まとめましょう。国が「円」という単位と法律の仕組みを支え、中央銀行(日本銀行)がお札と銀行間の決済に使う資産を提供し、民間銀行が審査と貸し出し(融資)を通じて預金を生み出しています。このように、それぞれの役割が重なり合って社会のお金が回っている仕組みは、前の節でお話しした「信用創造」とも深くつながっています。誰かひとりの主役が、世の中のすべての支払いを直接行っているわけではありません。次節では、この仕組みの中で、中央銀行が金利やお金の供給量をどのように調整していくのか、その流れを詳しく追っていきます。