SECとRipple社の主張が争われる中、双方は裁判で使う資料の範囲をめぐって激しく争いました。その中で特に注目されたのが、いわゆる「ヒンマン氏の講演文書」です。
裁判の提訴から略式判決までに長い時間がかかった理由の一つに、膨大な証拠開示(ディスカバリー)のプロセスがあります。米国の民事訴訟では、当事者双方が相手方に対して資料の提出や証言を求め、争点に関連する事実を明らかにしていきます。この手続きでは、Ripple社の契約書やXRP販売のデータ、宣伝資料、社内のやり取りだけでなく、SEC側がデジタル資産の法的な位置づけをどのように検討していたのかも争点になりました。証拠開示をめぐる裁判所の命令は、それ自体が最終的な勝敗を決めるわけではありません。しかし、どの資料を裁判の土俵に乗せることができるのかを左右する非常に重要なステップとなります。
中でも特に注目を集めたのが、SECの企業金融局長を務めていたウィリアム・ヒンマン氏が、2018年6月14日に行った講演に関する草稿やメールなどの関連文書です。この講演の中で同氏は、当時のイーサ(ETH)の募集・販売について、証券取引としては扱わないという見解を示していました。Ripple社側は、デジタル資産に対するSECの見解が一貫していたかどうかや、関係者がどのような法的な予測を持ち得たのか(公正な通知があったのか)を証明するための重要な材料になるとして、これらの関連文書の開示を求めました。これに対しSEC側は、行政機関の内部検討を保護する「審議過程秘匿特権」や、法律相談を保護する「弁護士・依頼者間秘匿特権」などを主張して開示を拒もうとしました。
ここで重要なのは、こうした秘匿特権が文書の内容や性質ごとに一つひとつ厳密に検討されるという点です。「SECの内部文書だから」という理由だけですべてが保護されるわけではありませんし、逆に「Ripple社が求めているから」という理由だけですべてが無条件に開示されるわけでもありません。担当のネットバーン判事は2022年1月、ヒンマン氏の講演に関係する資料と、SECの執行判断を支援するための内部の法的分析を区別しました。後者の一部については保護が認められたものの、同年7月には、講演文書に関する弁護士・依頼者間秘匿特権の主張を退けました。裁判所は、文書の主な目的が何であったのか、あるいは当時の講演がSECの公式な政策判断だったのか、それとも個人の見解に過ぎなかったのかなどを丁寧に検討して判断を下したのです。
ネットバーン判事がSECの訴訟上の説明姿勢を厳しく批判したことは、当時広く世間に伝えられました。ただし、その司法判断の表現を過度に受け止め、「SECの不正や汚職が裁判で完全に証明された」と言い換えるのは正確ではありません。一連の命令は、あくまで個別の文書に対する開示義務や秘匿特権の適用を判断したものです。その後、トーレス判事も同年9月にSECの異議を退けました。さらに2023年5月には、関連文書の非公開(封印)をめぐる判断が下され、文書の内容はのちに一般にも知られるようになりました。なお、裁判において「相手方への資料提出」「裁判記録への添付」「一般への公開」はそれぞれ段階の異なる行為です。そのため、特定の日付を一つだけ取り上げて「すべてのヒンマン文書がその日に一斉に一般公開された」と説明することは正確ではないため避ける必要があります。
このようにヒンマン文書がここまで重要視されたのは、暗号資産をめぐる規制の予見可能性(公正な通知)が大きな争点だったからです。しかし、最終的に機関向け販売についてトーレス判事は、従来のHowey判例やその後の裁判例によって、関係者に対して十分な法的通知がすでにあたえられていたと判断しました。したがって、証拠開示のプロセスを通じてRipple社側が関連資料を入手できたからといって、それがそのまま機関向け販売における登録義務違反という結論を覆すには至りませんでした。一方で、取引所を通じた一般向けのプログラマティック販売などについては、投資契約には該当しないという結論が導き出されたため、公正な通知の抗弁について改めて判断する必要はないとされました。このように、証拠開示の手続きにおける勝敗と、本案の裁判における勝敗を単純に一対一で結び付けないことが、この複雑な事件を正確に読み解くための大きな鍵となります。